蜜柑のプロジェクトverβ

シホンシュギ、ヒャハー

宮台真司、1993、『終わりなき日常を生きろ』ちくま文庫



■当時(90年代)の問題意識

私たちが問うべきなのは、なぜ特定の時代には、特定の社会イメージや世界イメージだけが生きられるのか、なぜいろいろあるなかでもそういう特定のイメージを生きることしかできないのか、ということでなければならない、それも、イメージ(=メディア)とイメージでないもの(=現実)を区別するような一九世紀的手法を用いて答えるのではなく、すべてがイメージであることを前提とした手法を用いて答えなければならない。p.94

→この頃の著者の研究にはこの文言がよくある。



■「終わりなき日常」

幸せや不幸の原因が「外的制約」に帰属できなくなり、ひたすらコミュニケーションの失敗による「内的制約」ばかりが問題になるような社会こそが、「終わらない日常」なのだ。…もちろん、いまだ実現されざる「輝かしき未来」を持ち出すことも、「外的制約」への帰属に含まれる。そうした「時間化」が許されないがゆえに、まさしく「終わらない」日常になってしまった…。p.162