蜜柑のプロジェクトverβ

シホンシュギ、ヒャハー

ジョージ・L・モッセ、佐藤卓巳・佐藤八寿子訳、1975=1994『大衆の国民化−ナチズムに至る政治シンボルと大衆文化−』柏書房

再読、学部生以来。

【目次】
新しい政治
政治の美学
国民的記念碑
公的祝祭―源流と展開
公的祝祭―演劇と大衆運動
諸組織の参入
労働者の貢献
ヒトラーの美意識
政治的祭祀


第一章:新しい政治

ファシストと国民社会主義者の政治的思考を、伝統的政治理論から判断することはできない。それは、ヘーゲルマルクスのように合理的理論的に構築された体系とはほとんど共通店がない。ファシズムの政治思想を調べて、曖昧模糊としてると非難した多くの論者はこの事実に悩まされた。しかしファシスト自身は、自らの思想を体系であるよりはむしろ「態度」であると表明した。それは事実、国民崇拝に枠組みを与えた神学であった。それゆえ、国民崇拝の儀式と祭儀が中心であり、それこそ書き言葉の力に依拠しない政治理論の必須要素であった。ナチ党指導者も他のファシスト指導者も、話し言葉を強調した。しかし、彼らの場合でさえ、演説はイデオロギーの教育的解説を与えることよりも祭儀的機能を果たしていた。話し言葉そのものは祭祀儀礼に統合されたので、実際に、話された内容は、結局のところ、そうした演説を取り巻く舞台背景や儀礼ほどに重要なものではなかった。pp20


第七章:労働者の貢献

いつも社会主義者は、信念への傾倒より理性や論理への訴えかけによって労働者を教育しようとした。彼らの敵である国民主義者や右翼の集会に比べて、社会主義者の集会で説教くさい演説が中心的な役割を演じた…。それにもかかわらず、ナチ党はプロレタリア的なデモ行進と祝祭がもたらした範例から影響を受けていた。…ヒトラー社会民主党の規律正しさに感銘を受け、この党を将校と兵士からなる軍隊と比較した。またヒトラーは、その成功で彼自身を威圧した敵である社会主義者の組織観と対比して自分の組織観の一部を定義している。だが結局、社会主義者が国民社会主義の祭儀へ与えた影響は過大評価されてなならない。なるほど、社会主義者は自ら模範を示すことでその祭儀の発展に寄与してきた。しかし、つまるところ国民社会主義の祭儀はドイツ史の一世紀半に及んだ祭祀の発展の極致であった。p189

以前からあるものを組み合わせつつ、発展する祭祀。「新しい」ものとは新しく見えるものである。いま-ここで発生したものではない。


第九章:政治的祭祀

大衆運動の成長した時代において「新しい政治」は大衆を組織する方法、つまり混沌とした群衆を大衆運動へと転じさせる方法となった。…「新しい政治」は、むしろ恒久的な願望へ訴えた大衆政治の形式であった。また、神話、シンボル、そして審美的政治でその願望を実体化しようとするものだった。新しい政治様式は、統治者と被治者をつなぐ代議制議会統治のような媒介的政治に取って代わろうとした。pp222-223

願望の実体化、アイデンティティを与えるもの
※キー概念:媒介的制度→訳者解説p234

人間性に不可欠なものとみなされる全体への根源的憧れと具象化の要求を今日もなお、相当数の人々が共有しているのかもしれない。いまだに、生活の全体性への切望というものは存在し、それは神話とシンボルに密接に結びついている。確かに政治と生活とは互いに浸透しており、それは生活様式全体が政治化することを意味する。文学、芸術、建築、そして我々の環境すらも、政治的態度の表象として見なされる。代議制統治がうまく機能していないようなときにはしばしば、政治を包含する全体性の理念に、人々は回帰しがちである。…生活の全局面の政治化としてしばしば非難されることは、実際には歴史の底流に存在した。そこでは常に、多元主義、つまり政治をほかの生活の局面から切り離すことが非難されてきた。この政治と生活の分割を象徴する代議制統治が破綻の危機にあるとき、人々は再び、完全に整えられた安息の地を望む。そこでは、美しく喜びを与えるものと、実用的なもの、必要なものとは分かたれるべきではないとされる。どれほど真の人間性から離れていたとしても、「新しい政治」はそうした安息の地をもたらしてきたのである。p226

多元主義-代議制統治/生活の全局面の政治化-「新しい政治」