蜜柑のプロジェクトverβ

シホンシュギ、ヒャハー

山之内「方法的序論」

●日本の現代史に関してこれまで支配的であった見解(読み替えるべき対象)

ファシズム時代の日本の歴史は近代社会が歩むべき本来の成熟過程から外れた非正常なコースをたどった。大正期(1912-26年)に進展した民主化の傾向はファシズムの時代にいたって頓挫したのであり、それに替わって非合理的な超国家主義イデオロギー的主柱とする強権的体制が国民を逸脱した戦時動員の軌道へと強制的に引き出していった。1945年の敗戦とともに始まった戦後改革は日本の歴史を大正デモクラシーの路線へと復帰させることとなった。1945年以降今日にいたる日本の歴史は、この戦後改革を起点としている。9

→導き出される構図:非合理、専制ファシズム体制 VS 合理的、民主的ニューディール体制


【問い】ニューディール体制は民主的な体制を導いたのか?
全体主義体制に対しては民主的だったが、
→<もたらしたもの>巨大化した国家官僚制、専門家を頂点とする中央集権的なハイアラーキー、体制化された労働運動≒全体主義の兆候

ファシズムニューディール型社会:2つの世界大戦が必須のものとして要請した総動員によって根底からの編成替えを経過したもの
 →[総力戦体制による社会の編成替え]という視点へ

●総力戦体制

1国の経済的資源のみならず、人的資源までもが戦争遂行のために全面的に動員されなければならなかった。劣位の市民の存在は総力戦の遂行に際して重要な傷害とならずにはいない。というのも、市民としての正当性を与えられていない劣位の諸グループは、政治的責任を負うべき位置に立たされていないがゆえに、総力戦の遂行にあたって主体的な担い手になろうとする内面的動機を欠いていたからである。11

→全面的な動員…内部の諸アクターの主体化
※劣位の市民…植民地における人々も?
 ――「強制的均質化」

近代社会がその成立期いらい抱え込んできた紛争や排除のモーメントに介入し、全人民を国民共同体の運命的一体性というスローガンのもとに統合しようと試みた。「強制的均質化」は、戦争遂行という非日常的で非合理的な状況によって促されたのであるが、しかし、それだけにとどまったのではない。それは、人的資源の全面的動員に際して不可避な社会革命を担ったという点で合理化を促進した。12

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総力戦体制=統合→合理化

社会的紛争や社会的排除(=近代身分性)の諸モーメントを除去し、社会的相対を戦争遂行のための機能性という一点に向けて合理化するものであった。12

<必須条件>
・社会に内在する紛争や葛藤を強く意識しつつ、こうした対立・排除の諸モーメントを社会制度内に積極的に組み入れること
・そうした改革によってこれらのモーメントを社会的統合に貢献する機能の担い手へと位置づけなおすこと

【論者の現状認識】

第二次世界大戦終了後、諸国民社会は平和的な日常的体制に復帰したのであったが、しかし、この復帰は大戦前の状態の回復を意味しなかった。第二次大戦後の諸国民社会は、総力戦体制が促した社会の機能主義的再編成という新たな軌道についてはそれを採択し続けたのであり、この軌道の上に生活世界を復元したのである。12

■「階級社会からシステム社会への移行」(主な論点)

●システム社会

絶えざる危機に直面しながらも、その危機の具体的な発現をゆるやかな水準へと中和し、このことによって危機管理が可能となった段階の社会を表す名称である。p14

●大河内から公と私の統合へ

戦時期に発表された大河内の消費生活論は、私生活領域に属する消費に公共的な意味を与えるという点で、かつてない積極性をもっていた。…大河内の消費生活論は、家族生活の場を伝統的な家政の領域から解放して市民社会へと開いたという意味で、もちろん、近代化の道筋に即するものであった。と同時にそれが、消費生活の場に公共的な意味を付与し、それを私的な隠された場からガラス張りの社会空間へと引き出したことも見落とすことはできない。p36

戦時動員体制は、…かつてヘーゲルが自然的倫理の場と考えた家族生活は、国家や市民社会から隔離された自律性を失い、大河内においては、企業の生産活動を維持=保全するうえで欠くことのできない領域として公的な意味を与えられ、社会的総循環のうちに組み入れられている。p36

現代では、私的な生活世界もすでに政治システムの公共性と区分されえなくなっている。p37

総力戦時代が推し進めた合理化は、公的生活のみならず、私生活をも含めて、生活の全領域をシステム循環のなかに包摂する体制をもたらした。p38