蜜柑のプロジェクトverβ

シホンシュギ、ヒャハー

『情報環境論集』2007

[初出:『中央公論』2003.7]


■第三の自由

 現代社会はこの条件を大きく変えつつある。二一世紀の公共空間は、仮想的であろうと物理的であろうと、すみずみまで個人情報の収集と分析で満たされ、その網から逃れることは容易ではない。カントにおいては、公共圏のネットワークへ接続することは、共同体的な拘束から逃れ、属性情報から離れた匿名で固有の存在へと変わり、自由への階段を上ることを意味した。しかし、いまや、公共圏のネットワークへ接続することは、共同体的な拘束を強化し、プロファイリングを施され、匿名性と固有性をともに失うことを意味し始めている。カントとメイのあいだでは、接続する=伝達されることの意味が逆転しているのだ。
 自由の感覚は、匿名でありうることと深く結びついている。自由の源泉は、伝統的に、消極的自由と積極的自由の二つに分けて考えられてきた。しかし、おそらくは、そこにはもうひとつの源泉があったのだ。選択肢の多様さ(消極的自由)でも、その選択を支える自己支配の感覚(積極的自由)でもなく、そもそもそのような選択を行わなくてもよいのだという直観、厄介な選択を自分に強いるすべての状況をリセットし、無名で匿名な存在に戻りたいという原初的な希求の感覚があって、それこそが、私たちがいま近づきつつある第三の自由=匿名性の自由の観念を支えていると考えられないだろうか。pp173-174


選択肢の多様さ(消極的自由)/
選択を支える自己支配の感覚(積極的自由)/
選択を行わなくてもよい、匿名的な存在を希求する感覚(第三の自由=匿名性の自由)