蜜柑のプロジェクトverβ

シホンシュギ、ヒャハー

山之内(1997)

山之内靖、1997、「総力戦・ニューディール・システム社会」『経済学史学会年報』


■現代の管理体制

今、フランクフルト第一世代が語った先進産業文明の技術合理性に関する批判的告発を読み直しながら、私は1997年という現時点での日本社会の問題性が暴露されているのではないか、という錯覚に囚われずにはいない。ナチスのような剥き出しの非合理性はさすがに表にでることはないが、しかし、現代社会はきわめて洗練された手法、きわめて巧妙に正当化された手続きによって技術的ないし機能主義的合理性のダイナミズムな発展を推し進めているのではないだろうか。そのことが社会の世代間再生産を可能とする倫理的共通感覚を失わせ、教育において集中的に現れる矛盾を露呈しているのではないだろうか。ここからさらに類推されるのは、地上に現れた社会主義なる体制も、実のところ、全く同様に「産業技術の合理的発展に支えられた全面的な操作」ないし全面的な管理の体制だったのではないか、ということである。p38


現代社会の新たな性格

現代社会は、管理的理性の意志を正面から押し出してくるような単純な種類のものではない。ここでは、支配のメカニズムは社会の全体的管理として剥き出しにでてくるのではなく、民衆の消費者としての主権を表にだし、生活の便利さ、快適さ、アメニティ等のきわめてソフトな当りで接してくる、また、支配は何らかの特権化した階層によって強制されるものとしてではなく、すでに法やその執行の手続きといった、あるいは価格メカニズムといった、形式的で匿名的な関係性のネットワークによっていつの間にか私たちの生活に浸透してくる。p39

――ソフトな支配・匿名的、手続き的な正当性の仕組み