蜜柑のプロジェクトverβ

シホンシュギ、ヒャハー

山之内(1992→1996)

「参加と動員―戦時期知識人のプロフィール―」『地域紛争と相互作用』東京外国語大学海外事情研究所、1992
→『システム社会の現代的位相』岩波書店、1996、第2章(pp.96-171)


大河内一男(昭和研究会)の分析〜〜システム論の先駆


戦時期と戦後期を通して社会政策について発言をおこなった大河内の社会政策理論を二つの時期に分けた上で、批判者から参与者という流れをつけた上でシステム論の先駆者とする。

  • 第一期(1931〜1937)【批判者】
    • 「概念構成を通じて見たる社会政策の変遷」(1931)
    • 「社会政策の形而上学――エドゥアルト・ハイマンの社会政策論を評す」(1937)
    • 「社会政策の日本的形態」(1937)

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  • 第二期(1938〜1945)【参与者】
    • 「戦時社会政策論」(1940)→システム論へ:個人からの離脱→システム総体へ
    • 「スミスとリスト」(1943)


第一期では社会政策の限界を認識し、体制批判を行っている。
軍需産業による上からの生産力拡充と国民生活の安定あるいは労働者階級の福祉との関係は出口のない袋小路である。125
「主観的に意図された社会政策(=体制維持)」の「客観的な思わざる結果(=対抗的な社会勢力の形成)」を強調。133

第二期では、戦時体制の合理的運営という観点に立って、官僚機構に積極的に関与していく。127
昭和研究会、分科会である労働問題研究会1939年2月設置。
「戦時社会政策論」(1940)で主張したこと。
①生産要素としての人間労働が、個人のなす活動としてではなく、商品として社会化されている場合にのみ、社会政策は初めて1つの社会的行為として登場する。
 経済機構の全体的再生産という視点に立ち、ここから社会政策を捉える立場のみが、戦時経済体制についても、その社会政策の必然性を根拠づけている。

この認識は次の点で注目に値する、ここでは個人や個別企業といった独立の主体は社会科学の対象から外されており、個人としての労働者も、あるいは個別の企業も、<社会的再生産の総体とその循環という全体的な流れ>のなかで捉えられている、ということである。…このことは、近代主義者と呼ばれる大河内の認識が、その実、近代の原点をなしていたはずの個人から離れ、社会的なシステムの総体という立場を選択していたということ、このことをしめしている。この認識においては、個人も個別の企業も、システムの運行の全体に帰属しており、その機能の一環を担うものとされているのである。p130

・主体としての個人→社会的なシステム総体へ
②社会政策の課題は経済社会の単なる単純再生産の保全にあるのではなく、絶えず自己革新をとげてゆく拡大再生産の保全であることが強調される。

自ら新たな技術的要請を理解し、進んで高度な学習と研究にとりかかるような労働態度をもった人材の養成という事態が、高度産業社会としてのシステム社会にとってその恒常的再生産を保証する基本条件となっていることに留意すべきである。…高度産業社会が自己再帰性を備えた労働力人材なしにはその順調な再生産がありえないことを、ここ戦時社会政策論において論じていた。p132

・自己再帰性(「学習することを学習する」)を備えた労働者の養成
③経済機構の急速な変動期に要請される労働力配置替えの問題と、それに対応する社会政策の必要性
④「労働者の社会的存在者としての自主性の培養」という目的も、社会政策の一環をなす。
・労働者自身の組織的存在においていかに戦争経済の遂行に協力するか。…勤労者の自主性・自律性の組織化
⇒①②③④により

大河内の社会政策論は、…彼自身が戦時動員体制における社会政策の設計者として参画することを決断した今では、労働者の主観的側面を排除したままでいることは許されなかった。しかも、その場合にいう労働者とは、…個人としての労働者ではなく、社会化された集団的=組織的存在としての労働者である。この集団的=組織的存在としての労働者を、いかにして社会の全体システムの機能的一環として位置づけるかということ、このことが問題であった。pp.136-137

⇒社会的存在としての労働者の主観的側面(自主性・自律性)を、どのように、全体システム(総力戦体制)の中の1つのシステムとして位置づけるのか、またはうまく機能させるのかが、大河内の社会政策論であった。


「スミスとリスト」で言われたこと。
経済に理念=倫理を存在させる。経済の外側にあったものを内側にもってくる。
自主性=自立性を駆動させる理念=倫理をいかにして導入するか。

大河内にとって国家は階級支配のための機関ではない、国家は戦時動員体制というシステムの運動を担い、これを方向づける一機能なのである。またこの運動の順調な回転を維持するためには、すべての勤労者を積極的な参加者として動機づける経済倫理が不可欠だとされる。…しかもその場合、「その日その日の経済生活」というごく日常的な領域でさえもが、この戦争経済の運動に参加し、その一環として組み込まれなければならないと考えられていることに注意すべきである。家庭における消費生活や職場の外での娯楽でさえもが、…勤労=生産活動の一環として位置づけられ、勤労=生産活動を充実させるものとして正当化されねばならないのであった。pp.139-140

・新たな主体的倫理…職能倫理(主体それぞれの場所と役割において社会的機能を担当する職能人の倫理)を提示
・日常生活(消費生活)…私事であった消費生活を公的行為へと変換。そこでは消費生活は生産活動=勤労生活の維持・保全にとって欠くことのできないものであるという論拠のもとに公開され、協同化される。144-145
・理想的人間類型、経済統制への理解…客観的認識の下で全体を把握し、自ら能動的・自発的に参加する人間146-147
⇒こんな人はいない。戦争回避が可能であったはず。大河内の挫折。


しかし、大河内の認識に妥当性はある。

戦時動員体制が日本社会の構造転換において果たした役割は大きかった。それは民族全体の生と死にかかわる危機という運命的共同性を梃として、国民生活全体を私的な領域から公的な意味を持った社会的領域に移し変えた。そのことによって、日本社会に付きまとっていた伝統的な―あるいは近代的な―生活の格差は公開の場へと強制的に引き出され、質的に均等化されるとともに水準化された。…戦後日本の資本主義は、戦時動員体制が推し進め、戦後改革によって制度化されることとなったこの強制的均質化を前提としてその驚異的な発展を開始する。pp.147-148

強制的均質化、水準化の例
財閥解体、農地改革、民法における家父長制の廃棄、労働組合の公認
GHQが行ったものであはないのか?それは近代化の過程ではないのか?
 →戦勝国(ニューディール)側もそのシステムは戦時動員体制(総力戦体制)によって編成されていた。よって、ファシズム/ニューディールという境界は無化する。