蜜柑のプロジェクトverβ

シホンシュギ、ヒャハー

石田(1996)の批判

石田雄、山之内靖「対論 戦後体制のゆらぎと新しい社会認識―<人権>はどこまで有効か?―」『世界』1996、9


■石田:断絶説、<人権>

私には山之内さんがあれほど戦前戦後の連続性を強調される理由が分からない。いったい連続性を認めることで、現代社会の理解にどのような違いが出てくるのだろうか?p57

たしかに戦前の総力戦体制にはそれなりの目的合理性はあったと思うのです。…そのような目的合理性の限りでみると、ある種の平準化が進んだとはいえ、それは総力戦のために必要な人的資源に限られる。逆に言えば総力戦に役に立たない人的資源は、極端な形では抹殺する。p57

戦後に新憲法制定というような規範体系の変化が起こったことに注目し、<人権>というような視点を据えてみると、様相が全く違ってきます。

山之内:現代の<人権>批判、<人権>を特権化し、戦中と戦後の断絶を訴えてきた知識人(石田も?)への批判的回答

いま、いわば<人権>のインフレ状態が見られます。さまざまなプレッシャーグループの階層的利害を国家に押しつけて、国家からパイの分け前をなるべく大きくしようというような動きは、<民主主義>の機能喪失を結局は引き起こしてしまいます、そういう利益配分型の要求までが<人権>の名においてしばしば語られたりする。そういう運動は、結局のところ、国民国家全体のパイを大きくするということなしには実現しないわけですから、<民主主義>の名において強力な国家権力、国民国家を要求する結果を生んできている。p58