北田暁大『広告都市・東京―その誕生と死―』廣済堂、2002
- 作者: 北田暁大
- 出版社/メーカー: 廣済堂出版
- 発売日: 2002/10/01
- メディア: 単行本
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読みまスタ。
<八〇年代>から<九〇年代>への広告=都市の変化を追う。
<八〇年代>:都市=広告が成立…西武。「シブヤ」≪でしか≫手に入らない。
:都市を見るまなざし…文学作品やテレビドラマ(テクスト)のように「読む」p128
:基本操作…「点」(店舗)、「線」(通り)を「面」(都市)化しつつ人々の歩みに回遊性を持たせていく、つまり、CFをフローとしての番組(プログラム)のなかに溶かしこんでいくp128
↓↓↓
<九〇年代>:都市/広告…都市のコンビニエンス化、都合の良い商品がそろう便利な街へ。「シブヤ」≪でも≫手に入る。
:前提となる受け手…記号的な閉鎖性の「虚飾性」を十分に知悉した上で、その「うさん臭い舞台」を享受しうるようなアイロニカルな受け手p114
:都市を見るまなざし…CF(もっとも広告らしい広告)のように「見流す」p128
:基本操作…CFのように断片化・平面化し、広告=都市の物語性・舞台性を解体p128
・端的にはp116-117舞台性の演出に必要な「整然さ」「アウラ」を見いだすことなく、都市のイメージというよりは「使い勝手のよさ」(utility)によって都市・渋谷を評価するような見解
■近代広告の本質:脱文脈性=メディア寄生性p32-33
広告は、自らが現れる場所・舞台(文脈)をけっして固定することなく、つねに新しい居場所を模索し、さまざまなメディアと表象のジャンル(新聞・雑誌・演劇・文学・音楽・ゲーム…)を横断する。広告は制度化された特定の表現形態を持たず多様なメディアに寄生しながら、日常世界の秩序だった文脈を乱し続ける。
■広告=都市化p100
たんに企業が街をアミューズメント化したというだけのことではなく、都市空間がそこを歩く人びとのアイデンティティ装置として機能するようになった事態のことを指すのである。
■
「秩序/無秩序」→「秩序/無秩序/文化」
■都市と広告と近代的秩序p56-
すでに明治期に萌芽がみられる広告と都市の関係をめぐる道徳的言説、つまり広告を都市から排除し、徹底的に囲い込んでいく「浄化の論理」は高度経済成長が一段落した七〇年代には最高潮に達していたのである。どこへでものべつ幕なく姿を現し、われさきに人目を惹こうとする広告の「メディア寄生的」なあり方は、明治期以降、秩序ある都市空間の構築をめざす近代的な立場から批判され続けてきた。
- 1949年
- 屋外広告法
- 東京都屋外広告物条例
- 1973年
- 屋外広告法改正…屋外広告業者の届出制度の強化・徹底
〜70年代の「景観保護運動」〜
- 東京都
- 1981年:東京都広告物審議会への諮問(屋外広告物の規制に関する方針・基準)
- 1984年:答申
- 1986年6月:屋外広告条例の改正案の可決・成立
◆派生
・ベンヤミンp24
・ゴフマン『集まりの構造』
・記号論的消費社会論とその批判p87
亘明志が鋭く指摘するように、「記号論的分析が意味の読解として「切れ味鋭く」みえ、対象のある側面を掘り下げ明るみにしているように見える場合があるというのも、記号論が方法として「切れ味鋭い」からというよりも、対象側にすでに記号論的装置が潜在していた」からと考えられるのである。
- 作者: 亘明志
- 出版社/メーカー: ハーベスト社
- 発売日: 2004/12
- メディア: 単行本
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