蜜柑のプロジェクトverβ

シホンシュギ、ヒャハー

環境管理型権力と社会認識@東

『情報環境論集』2007


[初出:『中央公論』2002.9]
環境管理型権力

…「アーキテクチャ」を「環境」と意訳して、…管理を「環境管理」と呼ぶことにしたい。この新しい権力は、人々の内面を経由することなく、生活環境を直接に変える。
 視線の内面化による規律訓練を通した秩序維持から、個人認証と情報処理による環境管理を通した秩序維持へ。これはおそらくは、ポストモダン化が進み、単一の規範では支えきれないほど複雑化してしまった現代社会の不可避の選択である。p.49-50 

――ポストモダン/ポストモダニズムという認識@東http://d.hatena.ne.jp/ReSpace/20090429

[初出:『中央公論』2002.10]

 したがって、ポストモダンの社会は厄介な二面性を帯びることになる。それは一方では、近代的な「大きな物語」の強制を放棄し、多様な価値観を歓迎する寛容な社会である(多文化主義)。ところが他方では、そのような多様性を安全に楽しむために、たえず個人認証と相互監視を必要とする強力な管理社会でもある(セキュリティ化=排除社会)。p.56 

 価値観は多様であっていい、市民的自由も経済的自由もできるかぎり認める、にもかかわらず、だれがいつどこでなにをしたのか、その情報だけはつねに収集しておき、必要とあらば特定の個人の生活に大幅に介入する。しかも、その介入を、介入と意識させないかたちで行う。それがポストモダン社会を支える環境管理型権力の特徴である。p.58 

二つの層からなる社会(一見、一つしか見えないがそれはコイン的に2つのもので一つというもの)とそれを支える権力


[初出:『中央公論』2002.10]
■社会認識

 私たちの社会はますます複雑になっている。この社会を運営するためには、もはや法や規範の内面化は役に立たない。多様な市民の共存が私たちの社会の原理だし、そうである以上、価値観や規範意識の差異もそのまま放置するしかない。そこで登場したのが、法や規範に期待するかわりに、たとえば規範意識の欠片もない人間(その象徴がテロリストだ)が現れても制御を失わない社会を作るという、新たな目的である。p51