蜜柑のプロジェクトverβ

シホンシュギ、ヒャハー

都市と文化の変遷

ユリイカ 臨時増刊号――総特集オタクVSサブカル!1991→2005ポップカルチャー全史』2005、8


対談「オタク×サブカル15年戦争
オタク文化秋葉原へいたる道

ばるぼら
 ところで秋葉原がオタク中心的な街になったのもここ最近ですよね。
加野瀬
 八〇年代のオタクの中心的な街は神保町ですね。コミック高岡があって、書泉グランデがあって、同人誌の委託販売をやっていたんですよ。で、そこが成人向け同人誌の摘発をうけて、委託をやめてしまったあと、秋葉原メッセサンオーとかが、おそるおそるエロ同人誌を売り始めて秋葉原に移っていく、という流れがあります。
 コミケカタログを売り始めた書店を年表にするとよくわかると思うんですよ。最初は、秋葉原では売っていなかったはず。コミケカタログって最初は開催当日のみ発売だったんですが、どんどん厚くなっていって、サークルチェックができない、という声が出始めたことから書店に卸すようになった。でも、東京では当初、神保町にしかおいていませんでした。
 あと、オタク系の店といえば、渋谷にまんが書店という本屋があったんですね。高岡書店は狭くて品揃えが悪かったので、僕は渋谷のまんが書店によくいっていました。
・・・
 そうして点在していたオタク系書店が、だんだん秋葉原にシフトしていくっていう流れがあるんですが、それはオタクの中心的メディアの変化とも連動していると思うのですよ。当初は、オタクの中心的メディアは印刷媒体だった。それがだんだんゲームが出てきて、デジタル系になっていくと同時に、秋葉原にその中心を移していったということだと思います。九〇年代前半にコンシューマーゲームが普及してきて、秋葉原にオタクがゲームを買いに行くようになる。八〇年代でも中高生の頃はソフマップにPCのレンタルソフトとか借りに行ってましたし、九〇年代に入って二〇代前半になるとメガドライブとやPCエンジンのソフトを買いに行ってました。
 どちらが中心というか、アニメとパソコンとかは、親和性は高いけど、やっぱり別だよね、というのがあったんです。端的に言うと、アニメ系のキャラクターの絵を使ったゲームを出すと、『ファミ通』でアニメ絵のゲームで、と差別的に扱われたんです(笑)。当時の僕は『ファミ通』を読んでむかついていたんですが、そのころはゲームとアニメは別モノであって、ゲームにそういうものを持ち込むんじゃねぇ、という風潮があった。
・・・
 そういう内部での差別ゲームがずっと続いていくんですよ、結局。だから、たぶん今言われているオタクとサブカルもそういう流れで、たぶんカルチャーが隣接したときに、差別ゲームがはじまってあいつらムカつく、と言っているというのがオタクと新人類のことからずっと続いていると思うんです。
ばるぼら
 アニメのブームがちょっと下火になったときOVAに移り、LDとかのハードウェア的なものを必要とし始めたときに秋葉原に移っていったということですか。
加野瀬
 そうですね。アニメのLDとか出てきて、記憶媒体が印刷物でなくなっっていくときに秋葉原に移っていったんです。pp.101-103

オタク文化秋葉原へいたる道。
特に、文化の形式面(ハード)に注目して説明。ソフトの記憶媒体の変化により、それを再生する媒体が<電気街>としてもともと身近に専門的に(より手に入れやすい!!)存在する街にオタク、オタク文化が移っていったということか。