蜜柑のプロジェクトverβ

シホンシュギ、ヒャハー

『アジア/日本』岩波書店、2006

吉野作造矢内原忠雄のアジア-植民地への視線

■国家の動員に対する抵抗、内部にとりこまれながらも、とりこまれること自体が抵抗であるような受動的な抵抗

哲学者の徐寅植(そいんしく)や朴致祐(ぱくちう)は、三木清らの「東亜協同体」論のほか、京都学派の「世界史の哲学」・「近代の超克」論を批判的に受容・変奏し、『朝鮮日報』や『人文評論』などの論壇で独自の議論を展開しました。これらは、日本の議論を受容した「親日」言説と言うべきものではなく、皇民化政策と「内鮮一体」論が吹き荒れる戦時動員期の朝鮮において、「東亜協同体」論を転釈・流用しながら、抵抗/協力の狭間で批判的言論を組み立てる葛藤にみちた試みです。p145

―東亜協同体論…昭和研究会の革新的知識人によって唱えられた。

戦時下の社会変革によって植民地/帝国主義の抗争を克服し、諸民族が自主・協同する新たな東アジアを形成しようとする
[中略]
戦時下の労働運動・農民運動を基盤とする社会主義勢力が支持しており、抵抗する中国と向きあいながら、日本帝国主義自己批判社会主義的な東アジアの形成をめざした議論として注目すべきものなのです。
[中略]
総力戦下の統制経済によって資本主義体制が修正され、労働者・農民の組織化と戦時社会変革によって、社会主義へ向かう転換点となりうると考えられたのです。そして、日本の侵略と中国の抗日ゲリラ戦争をつうじて、中国の旧来の社会秩序が解体しはじめ、社会変革が進行しつつあったことも、「東亜協同体」論にインパクトをあたえていました。p130

徐寅植(そいんしく)・朴致祐(ぱくちう)の言説戦略

彼らは、「血と土」に基盤をおき他民族の自立性を否定する全体主義ファシズムを批判する理念として、「東亜協同体」論を転釈・変奏しました。他民族の自立と協同をとなえる「東亜協同体」論は、同化政策皇民化政策を強める日本ファシズム全体主義を批判する挺子(テコ)として流用されたのです。p150

それは、植民地朝鮮という「周辺」を動員しつつ、新たな発展をとげようとする帝国日本の<動員の思想>への批判の営みです。それは同時に、…植民地における<動員の思想>にはらまれた、自己/他者への暴力の連鎖にひきこまれてしまう危うさにたいしても、批判的に対峙する営みでした。p151

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日中戦争期には、「東亜協同体」論をめぐって、植民地朝鮮/帝国日本を横断しながら連関する言説空間が成立していました。そこには、中国の抗日戦争と向きあうなかで、中国/朝鮮/日本の狭間で、アジア連帯のあり方をきびしく問いなおす批判的契機があったのです。p152